子育てとまったり暮らし

娘の斜頸・股関節脱臼通院記録と育児諸々

熊本にて被災をいたしました。

熊本にて被災をし、自宅が水道管破裂し、住める状況ではなくなったために早々に手はずを整え、関東圏まで避難しました。避難には沢山の方のご協力をいただきました。

 

短い間でしたが、被災したので経験したことを簡単にまとめたいと思います。

 

4月14日夜

 

子どもが寝、少し落ち着いた頃に跳ねるような大きな揺れの後に、がたっ、ぎしっと揺れが起きました。一瞬状況を理解できずに立ち上がるが、揺れが激しく立てず。

タンス、食器棚が全て倒れ、飾っていた写真立てが全て倒れガラスがたくさん割れた。テレビの緊急地震速報の表示を見、立ち上がり寝室の娘を抱きしめて揺れが収まるのを待った。収まった後も5階の為にゆーらゆらと揺れる感じがする。揺れが恐ろしくただ震えてますを抱きしめた。

この時の揺れで家にはヒビが入り、ドアが少し歪んだ。少し落ち着きを取り戻し、玄関とベランダの窓を開け、余震が来てまた歪んだとしても出れるように退路を確保する。

直後10時頃まで電話は通じず、SNSを通じて安否を報告。夫が会社に居たため、徒歩で帰ってくると言ったのでブロック塀に気をつけてと言い、帰宅を待つ。

 

夫、帰宅、かなりパニック状態で役立たず。

パニック状態のまま社員の安否確認をしていた。

 

4月15日

 

その後、夜中に大きめの余震が起き、マンション内に火災警報器が鳴り、故障で止まらなくなったのでなんかあった時のために避難所へ。

パニック状態の夫に煽られ、まともに荷物も準備できず、数枚のオムツとミルク、ペットボトル数本の水と貴重品を抱えて避難。この日は夫と私、娘と3人で床に寝て過ごしました。

粉ミルクは持参したのに哺乳瓶を忘れるという始末…。きちんと避難用の準備はしておくべきだと感じた。

結局、ほとんど寝れず、次の日の朝には余震もおさまりかけていたと思ったので自宅に戻り少しずつ片付けを始める。物流が止まり少しの間食料確保が必要だと思ったので、娘を抱き、エレベーターの止まったマンションの階段を上り下りして食材を探しに出た。

テレビで今後も大きな余震が来るとあったので夜中に地震が来た際の荷物をある程度まとめ、枕元に靴、靴下を置いて就寝。

 

4月16日

 

深夜、ガタッと大きな音に目覚め、その瞬間に大きくゆっくりと横に揺れる。家がミシミシという音と、沢山の食器が割れる音がした。

夫が懐中電灯で照らしながら、ドアを開け退路を確保。揺れが収まるのを待ちながら、靴下、スニーカーを履き、コートを着込んで待機。その間もずっと火災警報器が鳴り響く、恐らくは誤報だが、もしもと思うと怖くてたまらなかった。

すると、隣の家からドンッドンッと叩く音が…、音の方へ向かうと、ドアが歪んで玄関が開かないと言う。非常用の仕切りを突き破り、隣人を通した後に、揺れが収まった隙を見て脱出。

ケータイで広域避難場所を探し、3箇所を見たが、内2箇所にはガスの臭いが充満していて断念。3箇所目の広域避難場所に行き、体育マットの上に家族で寝たが、断続的に続く余震のたびに起こされ、ほぼ寝れず。

翌日5時頃には目が冴えてしまい、周囲の状況を確認しに行くが、見るだけで苦しくなってしまい、諦めて支援物資が入ってくるという8時頃まで今後どのようにするかを考えながら体を休める。

その後、支援物資は届いたが、ふたりにペットボトル500ml、1本コッペパンひとりひとつ、しかもそれでも足りないと言っていた。我が家は小さい子どもがいるというとスティックパン9本入りを貰った。食欲がわかず、娘にスティックパンをあげながらストックしてあった粉ミルクを作り、あげたが飲みは悪かった。

 

長くなりそうなので続きはまた後日。