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子育てとまったり暮らし

娘の斜頸・股関節脱臼通院記録と育児諸々

【正直連れ歩くのがつらい】1歳半検診にいってきたよ。

育児 生活 先天性股関節脱臼

いやいや期に片足突っ込んでいる1歳半。

子供の性格にもよるのだろうが、娘はたまーにひっくり返って怒るのである。私はそれが面白いのだが、さすがにバスに乗ったりするときに「いや」と拒否されるのは辟易する。

私の地域の1歳半検診は僻地で行われるので、当日まではバスに乗っていこうと思っていた、だが朝目覚めて保育園に行けないと気が付いた娘はとっても機嫌が悪くなってしまい、二進も三進もいかなくなってしまった。よって泣く泣くタクシーを呼んだ。

そもそも1歳半検診って何をするんだろうー?と知識もあやふやに向かう私。

噂によると発達を見るとかなんだとか、今回は地震のこともあったのでその親のフォローも含まれていたように思える。流れとしては

  1. 積み木・お絵かき・指差し・言葉の確認
  2. 親の精神状態の確認
  3. 身体測定(身長・体重)
  4. 内診・股関節脱臼触診・歩様の確認
  5. 歯科検診(フッ素塗布と歯磨き指導)
  6. 栄養指導(おやつの量など)
  7. 生活指導(起きる時間寝る時間・お友達がいるかどうか)

どの項目でも「悩み事はありません!!」と答えると1時間半弱で終了した。受付の順番は最初から5~6番目だったが、帰るころには2番目にまで繰り上がっていたのでかなりはやーく終わったのであろう。

ちなみに股関節脱臼については定期的に整形外科へ通っているのでほぼスキップ、だが歩きも特に問題ないと言われた。また次行ったらレントゲンかなー?

まぁ、うちのわがまま娘がどの項目も完璧にこなしたわけではなく、できなそうなところは機嫌が悪くなる前に「できないっすね!」と親が開き直ってしまった。いやだってね、初めての場所で知らないおばちゃんにそんな芸を披露だなんてできないだろう…。そんな緊張や、母の焦りもそれなりに考慮してくれる感じ。良くも悪くもゆるい1歳半検診だった。

朝は自治体にもよるが、私は9時からだったので比較的機嫌のいい時間に終えることができてよかったが、13時ごろ開始の人は地獄を見たという。

私の1歳半検診の感想を述べるとすると、娘の発達に関してはほとんど保育園が面倒を見てくれた感じなので「どーぞご覧ください」程度の気楽なものだった。

お久しぶりです。と、子どもの怒り。

ひとりごと 育児

熊本地震のジタバタで引っ越したり、住宅修理関連のことで揉めたりしながら過ごしていたらあっという間に1ヶ月…、無事に職場復帰も果たし、忙しい日々を過ごしております。

私はストレスで朝になると蕁麻疹が出るようになってしまい、皮膚科に通う日々。蕁麻疹って中々良くならないのですね…。

 

このひと月の間に娘は「怒り」を覚え、少しでも気に入らないことがあるとひっくり返って怒ってみたりするようになった。自己主張も強くなり、ますます人間のよう。すっかり赤ちゃんから子どもに進化している。

おぼつかなかった歩様はしっかりし、少し走るような動作までみられ、さよならのときはハイタッチしてバイバイをする。保育園って刺激の塊なのだな……。

 

さて、娘が怒るようになったのだが、だいたい怒るときにはパターンがある。今、娘が主に怒るのはつまらなくなったり、構ってくれないときが多く、割と常に遊んでくれることを期待している感がある。他には食事が思い通りに行かず、暑かったり、スプーンで上手に食べれないと焦れる。

そんな娘は自分での食事を絶賛練習中であり、スパルタの保育園の先生たちのおかげで7~8割がた自分で食べれるようになった。スプーンで上手に掬って食べる。これは基の短い私が一人で教えてたらもっと時間が掛かったと思う。気に入らなくなるとひっくり返したりしてくれるが、まぁ、許容範囲であろう。まぁ、二人でならばご飯をあげるのもあまり苦にはならないので、ゆっくり気長に娘の食事に付き合っている。(しかし、1時間かかるときには流石に疲れる)

しかし、保育園は本当にありがたい場所であり、保育園と協力して子育てをしていると言っても過言ではないだろう。

 

1歳3ヶ月、離乳食からの卒業

育児

おひさしぶりです。

避難をしている最中ですが、1歳3ヶ月、無事に卒ミルク。

母乳のときから母乳に執着がなく、あっさり断乳をした娘だが、体重が伸び悩んでいたのでミルクをあっさりやめる事に対して私は抵抗感があったのだが、ほとんど用意できずにジタバタ避難して来た為に飲み物関係は飲みかけのミルク以外、何も持ってこなかったので徐々にミルクを少なくしてみる事にした。

ミルクを飲まなくなり、娘に何が起きたかというと

  • 食欲の倍増
  • おやつを食べなくなる
  • 夜寝なくなる

恐らく、卒ミルクの前後であんよが出来るようになり、毎日毎日歩ける量が増えた為に日に日に体力がついたのだろう。体力が増えたのでごはんの間にも疲れずに座っている事が出来、おやつを間に挟まなくても良くなったのだろう。

そして、離乳食ではなく、もうほとんど取り分けで、大人顔負けのものを食している。ちょっと味を薄くしたり、油を使わないようにしているぐらいである。食べる量は大人の3分の2ぐらい。自分で食べるかっていうとそれは半々で、すくってあげればスプーンを握って口に運ぶことと、コップ飲みはマスターした。

子どもの成長って凄まじいな。

1ヶ月前には立つのがやっとだったのに、今は好き勝手何処にでも歩いて行き、外に出たいだとかなんだかんだとかやりたい事が出来ないとわんわん喚く。表情は赤ちゃんからすっかりキッズになり、意思疎通も上手になった。言葉っぽいものも出て来た?

  • いただきます▶︎「いーだ!」
  • ごちそうさま▶︎「ーま!」
  • わんわん▶︎「わんわん」
  • にゃんにゃん▶︎「にゃんに」
  • おいしい▶︎「おいち」
  • おはな▶︎「おーな」

あ、ちなみにママとかパパはまだ…笑

熊本から避難をしました。

ひとりごと

続きをつらつらと書き連ねます。記録としても残して行きたいと思っているので思った事感じた事をそのまま書いていくつもりです。

 

4月16日

その後、夫が起床し、警報が鳴り止まなかった家の様子を見に行くという事なので、私は避難所で娘と待機。その間に体育館の舞台の上で同じぐらいの乳児と遊ぶ。子ども達が戯れている様子は可愛らしかった。

ちなみに避難所のトイレは、2度目の地震からは水道が止まり、明け方に使用した時には既に異臭を放っていた。プールの水があるのでプールサイドのトイレは使用ができたようなのだが、その情報が届かず、水道の止まったトイレを使い続けているような状態だった。まさに混乱を極めていたようだ。

そうこうしているうちに夫よりメール。

「家が水びたしだ…これは住めない」

文面を見る限り、かなりのショックを受けているようだった。築年数は浅めのマンションだが、どうやら上層階の水道管が割れてしまったようだった。家の中では警報が鳴りっぱなしで止められない状況だと言う。

家の状態を写真で送ってもらい、関東の母へ相談すると、来れるならくれば?と言われ、夫は会社より元々1度目の地震が起きた時より、出張の話が出ていたので、ぐちゃぐちゃの家を置いたまま、関東へ出る事を決意。(この時点で朝9時頃)

しかし、空港はもちろんの事、電車も熊本から出るものは止まってしまっている。とりあえず、福岡へ出、福岡より飛行機に乗る事を考えたが、バスも止まっているので残るはタクシー移動になる。タクシーで大牟田まで出、そこから西鉄に乗るというのが考えられる最短のルートだった。

最寄りのタクシー乗り場に向かうが、5〜6人がまっており、2時間タクシーは来ていないとのこと、タクシー会社に片っ端から電話をかけるが、大体4時間待ち程度だと言う。タクシー会社によっては電話がパンクしてつながらないところも多かった。タクシー会社に電話し、事情を伺うと、多くの人が福岡へ向かっているために、熊本のタクシーが帰って来てないとのことだった。それを聞き、夫は熊本▶︎福岡を往復しているタクシーがおりた瞬間に捕まえるべく、徒歩で大きな道路へと向かった。その夫を見、タクシー乗り場に並んでいた人も探しに出、お互いに声を掛け合ったところ、全員が福岡へ向かいたいとことだったので、タクシーを乗り合う事にした。

そうこうしているうちにタクシーを見つけ、4人で乗り合い。普段だったら1時間半未満で到着するはずの距離だったが、交通渋滞や規制で2時間程度かかった。その間娘は比較的おとなしくしてくれたが、乗り合いをしてくれた方々には大変申し訳ない気持ちになった。

そうして西鉄に乗り、福岡へ。

福岡へ入り、窓ガラスに写る自分の顔を見たら、顔色が悪く、ぼろぼろの状態である事に初めて気がつく。天神の町中はいつも通りキラキラとしていて、その中によれよれの家族3人でふらふらしながらホテルへと向かった。娘は長い道中で眠ってしまったのでそのままそっとしておいた。夫は食事に行きたいと言ったが、私はもう食欲が無く、何も食べたくなかったのでホテルで休憩をとった。

その日はサンドイッチを食べ、そのまま寝てしまった。

 

熊本にて被災をいたしました。

ひとりごと

熊本にて被災をし、自宅が水道管破裂し、住める状況ではなくなったために早々に手はずを整え、関東圏まで避難しました。避難には沢山の方のご協力をいただきました。

 

短い間でしたが、被災したので経験したことを簡単にまとめたいと思います。

 

4月14日夜

 

子どもが寝、少し落ち着いた頃に跳ねるような大きな揺れの後に、がたっ、ぎしっと揺れが起きました。一瞬状況を理解できずに立ち上がるが、揺れが激しく立てず。

タンス、食器棚が全て倒れ、飾っていた写真立てが全て倒れガラスがたくさん割れた。テレビの緊急地震速報の表示を見、立ち上がり寝室の娘を抱きしめて揺れが収まるのを待った。収まった後も5階の為にゆーらゆらと揺れる感じがする。揺れが恐ろしくただ震えてますを抱きしめた。

この時の揺れで家にはヒビが入り、ドアが少し歪んだ。少し落ち着きを取り戻し、玄関とベランダの窓を開け、余震が来てまた歪んだとしても出れるように退路を確保する。

直後10時頃まで電話は通じず、SNSを通じて安否を報告。夫が会社に居たため、徒歩で帰ってくると言ったのでブロック塀に気をつけてと言い、帰宅を待つ。

 

夫、帰宅、かなりパニック状態で役立たず。

パニック状態のまま社員の安否確認をしていた。

 

4月15日

 

その後、夜中に大きめの余震が起き、マンション内に火災警報器が鳴り、故障で止まらなくなったのでなんかあった時のために避難所へ。

パニック状態の夫に煽られ、まともに荷物も準備できず、数枚のオムツとミルク、ペットボトル数本の水と貴重品を抱えて避難。この日は夫と私、娘と3人で床に寝て過ごしました。

粉ミルクは持参したのに哺乳瓶を忘れるという始末…。きちんと避難用の準備はしておくべきだと感じた。

結局、ほとんど寝れず、次の日の朝には余震もおさまりかけていたと思ったので自宅に戻り少しずつ片付けを始める。物流が止まり少しの間食料確保が必要だと思ったので、娘を抱き、エレベーターの止まったマンションの階段を上り下りして食材を探しに出た。

テレビで今後も大きな余震が来るとあったので夜中に地震が来た際の荷物をある程度まとめ、枕元に靴、靴下を置いて就寝。

 

4月16日

 

深夜、ガタッと大きな音に目覚め、その瞬間に大きくゆっくりと横に揺れる。家がミシミシという音と、沢山の食器が割れる音がした。

夫が懐中電灯で照らしながら、ドアを開け退路を確保。揺れが収まるのを待ちながら、靴下、スニーカーを履き、コートを着込んで待機。その間もずっと火災警報器が鳴り響く、恐らくは誤報だが、もしもと思うと怖くてたまらなかった。

すると、隣の家からドンッドンッと叩く音が…、音の方へ向かうと、ドアが歪んで玄関が開かないと言う。非常用の仕切りを突き破り、隣人を通した後に、揺れが収まった隙を見て脱出。

ケータイで広域避難場所を探し、3箇所を見たが、内2箇所にはガスの臭いが充満していて断念。3箇所目の広域避難場所に行き、体育マットの上に家族で寝たが、断続的に続く余震のたびに起こされ、ほぼ寝れず。

翌日5時頃には目が冴えてしまい、周囲の状況を確認しに行くが、見るだけで苦しくなってしまい、諦めて支援物資が入ってくるという8時頃まで今後どのようにするかを考えながら体を休める。

その後、支援物資は届いたが、ふたりにペットボトル500ml、1本コッペパンひとりひとつ、しかもそれでも足りないと言っていた。我が家は小さい子どもがいるというとスティックパン9本入りを貰った。食欲がわかず、娘にスティックパンをあげながらストックしてあった粉ミルクを作り、あげたが飲みは悪かった。

 

長くなりそうなので続きはまた後日。